いつかまた北欧へ

子育て中のため、大好きな旅行は封印中、、でもまたいつかきっと!

この一週間(2011年の地震翌日)

  • 2011/3/21(月) 午前 11:04

 

      ■3月12日(土)


翌日目を覚ましたのは朝5時半頃だったと思います。

もちろん、ベッドでも布団でもなく、椅子を2つ使った超簡易ベッド(?)で

ひざ掛けと大判のストールをまとって寝ていました。

1時半ぐらいまで起きていたのは覚えているので、眠っていたのは4時間程。

でもそれでも十分でした。

その4時間は、一度も目を覚ますことなく、ぐっすり寝ていられたのですから。

そして、まず自分にとっていちばん重要な情報、電車の運行状況を調べるため、

席に戻ってネットで見てみました。

すると、 「午前7時以降から順次再開予定」 とのこと。

すぐには出られないので、その時間まで事務所にとどまることにしました。

 

メールを開けると、取引先の中米より、何通かメールが来ていました。

時差の関係で、この時間はあちらの金曜日の夕方。

まだ普通に仕事をしている時間です。

前日の夜に、日本で大きな地震があったこと、

そしてこの会社の人たちは全員無事なことはこちらから全取引先にメールで通知済みでしたが、
やはり、向こうでも大きなニュースになっているとのことで、
この件に関してのお見舞いメールがたくさん来ていました。

いつもなら、月曜日の朝までは見ることのできないメールなのですが、

せっかくこうやって見れている状態でしたので、

仕事に関することでできるだけ早い情報が必要な案件に対しては、

このときすぐに返信しました。 そしたらすぐ、

「こんなときにこんな時間に、仕事なんてしなくていいのに・・・」 との返信が。

逆に向こうに気を遣わせてしまうことになってしまいました。。

 

でも正直、果たして月曜日に無事にまた出勤してこられるのどうか、

それもわからない状況でしたのでね。(結果的に、その心配は的中したともいえるのですが、その原因は全く想像していなかったものでした)

==  ==
なんだかんだで、ようやく帰る準備が整ったのは、結局8時頃でした。

念のため、もういちど自分の使う路線の状況を確認したあと、

うちの部署で、男性社員の中でただ一人フロアに残ってくれていた人に

(女性は他にも何人かいた)

「お疲れ様」 のインスタントコーヒー1杯と「あられの小袋」(笑)を渡し、

事務所を後にしました。

この人はまだ20代の若い男の子だったのですが、こういうときは、

「誰か男が残っていないと(女性だけで残しておくことはできない?)」という

男性の本能のようなものが働くのでしょうかね?

同じ寮に住む他の男性社員の多くは帰っていったので、

決してこの子も 「帰れない」 わけではなかったのに。

 

本人いわく、

「やること(仕事)はたくさんあるので、この機会にできるだけやっておきます」 と。

でも翌朝話していたら、

「時間があるからといって、仕事がたくさんこなせるわけではないんですね」

と苦笑いしていました。

「集中力が持続しないので、はかどらない」 というのです。

このような状況下では、当たり前といえば当たり前なのかも知れません。

それでも、彼がいてくれたことで、

なぜか心強く感じていたのは私だけではなかったと思います。

仕事は思ったほどはかどらなかったかもしれないけど、

いてくれた意味は十分にありました。

まあ、本人には言っていませんが(笑)


なお、誤解のないように書いておきますが、上司たち、いわゆる管理職の方々は、

うちの部署では誰も残っていませんでしたが、

同じフロア内には他の部署の管理職の方がちゃんと残ってくださってました。

うちの部署の上司たちは、早く帰りたいと言う部下たちを寮まで引率したあと、

そのまま自分も帰宅したり、(うちの部署は名古屋で採用になった若い人が多いので、

寮住まいしてる人がたくさんいる)

「当日帰宅する部下」 を全員見送ったあとに、

奥様や小さい子供の待つ自宅へ帰っていったり、

(そのときに、若い男性社員に後を託していきました)

そういった状況でした。

決して無責任な方たちではないので、念のため (^^;

==  ==
さて、ようやく事務所を出て帰路についたわけですが、

まず最初の地下鉄に乗り、一度降りて次の地下鉄に乗り換え・・・

ようと思ったら!!

なんと、私の行きたい方向へは行っていない ∑( ̄□ ̄)!!

再開後、わずかな時間でまた止まってしまったようなのです。

さてどうする?!

野球マニアであると同時に鉄道マニアでもある旦那に電話し、「ナビをお願い」 。

結局、うちから2番目に近い駅 (路線は全く別) に着くルートで帰ってきました。

もちろん、電車はものすごく混んでいましたよ。

「みんな、昨日は家に帰れなかった人たちなんだなあ」 と。

それでも、翌朝には帰ることができた状況は、まだまだ恵まれています。


家に着いたら バタンキュー(死語) ・・・ となりたかったのはやまやまですが、

ニュースも余震も気になって、しばらくはなかなか寝られませんでした。

でもやはり、そのうちいつの間にか寝てましたけどね (-_-)zzz


2回目で完結するはずが、長くなってしまったので、まだ続きます(^^;